🐾 愛しきキジ白猫たち|シュクレとの出会い【再公開・最新リライト版】
- かとうようこ
- 6月27日
- 読了時間: 5分
更新日:6月30日
この記事は2009年以降の経験をもとに2023年に執筆し、2025年に改訂した再公開版です。キジ白猫シュクレとの出会いや成長、先住猫ミードとの絆を通して、動物たちが教えてくれた愛情と信頼について語ります。動物好きの皆さまに共感いただける内容です。

🗓 初出:2023年 📘再編集:2025年6月
🐱 若かりしシュクレとミードの絆
2009年に初代キジ白猫ショコラを亡くしたあと、我が家に迎えた二代目キジ白猫がシュクレです。彼は、小学6年生になった甥の息子が拾ってきた仔猫で、なんとショコラと同じルートでわたしの元にやってきました。
ちょうどその頃、先に迎えていたアメショMIXのミードとは半年違い。バニラとショコラのように、ミードとシュクレも兄弟のように寄り添って育ちました。シュクレは生まれてすぐに母猫と離されたせいか、幼い頃から“試し行動”をする子で、夫の布団におしっこをしたこともあります。でも、その瞬間に「こんなことをしても、ぼくは愛される?」という声がはっきりと届いたのです。
すぐに抱きしめて伝えました。「大好きだよ。うちの子になってくれてありがとう。」
その日から、トイレ以外ですることは一度もありませんでした。


🐾 直感が教えてくれた“異変”
子猫の頃から毎年、欠かさず健康診断を受けていたシュクレ。血液検査の結果はいつも「異常なし」。けれど、ある日ふと、「なんだか気になる」と胸の奥がざわつきました。
その直感に従い病院へ連れて行ったところ、ごく初期の腎不全が見つかりました。すぐに食事療法を取り入れることで、数値は正常に戻り、その後も元気に過ごしていました。
それ以来、「検査では異常なし」と言われても、どこか腑に落ちないときは、迷わず病院へ足を運びました。どうしても気になって、レントゲンをお願いしたこともありましたが、それでも「異常は見られません」との診断。
ところがある日、「免疫力を高める注射をしておきましょう」と言われ、接種を受けたあとから――シュクレの様子が一変しました。急に食欲が落ち、痩せていったのです。
病院に行くことを強く拒むようになったシュクレの様子から、私は「この子は、もうここには来たくないんだ」と、はっきり感じました。
そこで、思い切って近所に新しくできた別の動物病院を受診。あらためて検査を受けたところ――胃の入り口付近に腫瘍があることが判明しました。
そのときには、すでに余命を宣告されるほどの進行具合になっていたのです。
🌿 最後の時間を、できるだけ穏やかに
できるだけ苦痛を和らげてあげたい。そう思い、往診で鍼灸を受けたり、アニマルヒーリングにも通じる施術をしている北村先生にもお願いするようになりました。
不思議なくらい、シュクレは施術を気持ちよさそうに受けてくれました。終わったあとは食欲が戻り、部屋の中を足取り軽やかに歩く姿も見られました。
亡くなる前日までフードを食べ、翌日の午後、旅立っていったシュクレ。
北村先生の予約を待たずに逝ってしまったことが、少しだけ心残りでした。

🐾「ありがとう」を伝えに来たシュクレ
それから数週間後、北村先生が我が家を訪れ、今度はミードの施術をしてくださることになりました。
施術が始まり、部屋が静まり返ったそのとき――「にゃ〜〜〜」という、ミードのものではない猫の声が、はっきりと響いたのです。猫たちはみんな別の部屋。先生も、夫も、わたしも、それが“シュクレの声”だと直感しました。
誰もその場で言葉にはしませんでしたが、施術後のランチ中に北村先生がふとこう言いました。
「シュクレ、鳴きましたね。」
やっぱり、あれはシュクレだった。先生にお礼を伝えに来てくれたんだ――そう感じました。先生の施術を、とても気持ちよさそうに受けていたシュクレ…本当に嬉しかったんだね。
いつも、シュクレに施術される北村先生の様子をそばで見ていて、私の中にある思いが芽生えていました。動物は、どんなに痛くても苦しくても、本能的にそれを隠して、平静を装う――だからこそ、その苦しみに気づき、そっと寄り添える存在になりたい。そして、私にも、少しでもその子たちの苦痛を和らげるお手伝いができるようになりたい。
🌿 その瞬間、人生がまたひとつ動き出した
私はその場で、思わず先生にこう尋ねていました。
「わたしにも施術を教えてもらえませんか?」
それが、現在わたしがアニマルヒーリングを始めるきっかけになったのです。
シュクレは亡くなってからも、私に新たな道を示してくれました。
🐾 命のバトンをつないで
こうして振り返ると、ショコラ・シュクレ・アメちゃんと続くキジ白猫たちは、それぞれ違う形でわたしに「命」と「愛」と「直感の声に耳を澄ますこと」の大切さを教えてくれた存在でした。
その出会いがあったから、今の私があり、今のroumaの活動があります。
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