🧊 南極観測船「しらせ」名古屋港へ
- かとうようこ
- 6 日前
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更新日:5 日前
― 6年ぶりの寄港と、南極へ挑んだ人々の魂 ―

10月4日、夫と一緒に南極観測船「しらせ」の一般公開を見に、名古屋港へ行ってきました。
あいにくの雨模様でしたが、港にはたくさんの人が訪れ、活気に満ちていました。それだけ「しらせ」が多くの人に愛され、注目されている存在なのだと感じます。
🚢 「しらせ」とは ― 日本唯一の砕氷艦
海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」は、南極観測隊員や物資を昭和基地まで運ぶ日本唯一の砕氷船。全長約138メートル、総重量約1万2,000トンの巨大な船で、南極の氷を砕きながら進むその姿はまさに「氷海を切り拓く力強い使命の象徴」です。
今回の寄港は6年ぶりで5回目。
11月に出発予定の第67次南極地域観測を前にした訓練の一環として、名古屋港にやってきました。
一般公開では、南極の石や氷、観測船の構造や航路の展示などを見学でき、子どもから大人まで多くの来場者が興味深そうに見入っていました。
⚓ 夫の感想より:70年の技術と人の思いが積み重なって
「南極観測船しらせが名古屋で一般公開していたので、見学してきました。雨が降ってましたが見学者は多く、活気がありました。以前“宗谷”を見た時は木製家具があって楽しかったのですが、現役の“しらせ”で見たのは全てスチール家具。それは少し残念でしたが、船内は機能がぎっちり詰め込まれていて非常に筋肉質な印象でした。名古屋港では先先代の“ふじ”も見ることができますが、二つの船を比べると70年間多くの人々の思いが集まり、鍛え上げられて今の姿になってきたかのように感じました。」
南極の過酷な環境で活動するために、無駄を削ぎ落とし、機能性を追求した姿。
その「筋肉質」という表現には、長年の技術の蓄積と、人々の情熱が宿っているように感じます。
🌍 記念講演で聞いた「南極観測の面白さ」
夫は、一般公開に合わせて行われた南極観測に関する記念講演にも参加しました。その中で、南極の氷のボーリング調査や隕石の採集など、興味深い話があったそうです。
「南極では氷を掘ることで、昔の“空気”の情報が得られるそうです。普通の発掘では地質や化石の情報が得られるけれど、氷からはその時代の空気の組成までわかる。年代決定には火山灰が使われるところも、発掘と似ていて面白かったです。さらに、氷上の石はすべて隕石なので、地球だけでなく月や火星、太陽系誕生時の情報まで得られるとのこと。まるで“宇宙の記録”を読み解くようでした。」
講演では、研究者のユーモアも交えながら、南極研究の国際的な違いにも触れられたそうです。
南極は、地球の記憶が眠る場所。氷の中に封じ込められた空気、宇宙から飛来した隕石――それらを運び、研究を支える「しらせ」は、まさに“地球と宇宙をつなぐ船”なのです。


🧊 南極の石とは?
南極の「石」とは、主に次の3つを指します。
① 南極大陸の岩石(地質学的な石)
氷の下の地殻を構成する岩石で、約30億年前の非常に古い地質を含みます。
変成岩:高温・高圧で変化した岩。大陸の核を示す。
花崗岩:マグマがゆっくり冷えてできた岩。
玄武岩:火山活動によってできた岩。
これらはかつて存在した超大陸「ゴンドワナ大陸」の一部であった証拠を示しています。
② 南極に落ちた隕石
南極は世界最大の隕石の宝庫。氷上で黒い隕石が目立ち、氷の流れにより一か所に集まるため、これまでに5万個以上の隕石が発見されています。
火星から来た隕石
月の岩片
太陽系誕生の微粒子
これらは「宇宙の起源を語る石」とも呼ばれています。
③ 南極の「記念の石」
観測隊や各国の基地が設置する慰霊碑・標石。それは「南極探検の歴史を刻む石」であり、挑戦の証でもあります。
🔍 なぜ南極の石が重要なの?
🌍 地球の原始の姿を残している 古代の岩石から大陸形成や気候変動の痕跡がわかります。
🧭 大陸移動説の証拠 他大陸の岩石と酷似しており、かつて一つの大陸だったことが分かります。
🌌 宇宙の記録を保存している 南極隕石には、太陽系誕生時の物質がそのまま残っています。


🧊 南極の氷とは?
南極の氷は、数百万年にわたって降り積もった雪が圧縮されてできたもの。
厚さは最大で約4,000メートル(4km)にもなり、大陸全体を覆う「南極氷床」を形成しています。
🧪 南極の氷が語るもの
氷にはその時代の空気、火山灰、花粉などが閉じ込められています。「氷床コア」を調べることで、
数十万年前の気温やCO₂濃度
過去の火山噴火や気候変動
氷期と間氷期の周期
など、地球の“呼吸の記録”がわかります。
🧊 南極の氷で味わう“地球のかき氷”
名古屋港で出会った元・観測隊の方が教えてくれました。
「南極では、氷でかき氷を作って食べるんですよ。」
隊員の中にはシロップを持参する人もいるそうです。いちご、メロン、ブルーハワイ——氷点下の世界に夏色が広がります。
その氷は、何千年、何万年という時を経て積もり、古代の空気を閉じ込めた“地球の記憶”。その一口には、生命と大地の物語が溶け込んでいるのかもしれません。







❄️ 南極観測が伝えてくれること
艦長の岩瀬剛一等海佐は
「南極でしらせが活躍していることを、皆さんに知ってほしい」と語られていました。
その言葉の通り、「しらせ」はただの船ではなく、人類の知恵と希望を運ぶ船。
厳しい自然の中で使命を果たす人々の姿には、静かな感動がありました。
🌏 南極をめざした三つの魂
― 白瀬・アムンセン・スコット、それぞれの挑戦 ―
氷と風に閉ざされた未知の大陸「南極」。20世紀初頭、人類は初めてその“極点”を目指して動き出しました。そこには国や立場を超えた「未知への情熱」と「人間の限界への挑戦」がありました。
🇳🇴 アムンセン隊 ― 静かなる勝者
1911年12月14日、ノルウェーのロアール・アムンセン隊は人類で初めて南極点に到達。彼は北極探検の経験から学んだ犬ぞりの活用と冷静な計画性で移動の効率を極限まで高め、犬たちを仲間として、命を支える存在として扱いました。
“The dogs not only pulled us to the Pole, but they fed us as well.”「犬たちは私たちを南極点まで運び、命も支えてくれた」
この言葉に、彼の犬への深い敬意と現実的な感謝が込められています。
🇬🇧 スコット隊 ― 栄光と悲劇
1912年1月17日、イギリスのロバート・スコット隊も南極点に到達。しかし、そこにはすでにアムンセンの国旗がありました。
悲劇の背景には、移動手段と意思決定の問題がありました。
移動手段の選択
馬(ポニー)やモータースレッジを使いましたが、馬は極寒に弱く、人力でそりを引くことを余儀なくされました。
階級制度と意思決定
厳格な階級制度により、隊長の判断に異議を唱えることはほとんどできず、犬ぞり使用の意見も取り入れられませんでした。
猛吹雪、食糧不足、体力の限界――帰路で隊員は次々と倒れ、スコット自身も命を落としました。それでも、彼らの勇気と献身の物語は後世に語り継がれています。
🇯🇵 白瀬隊 ― 忘れられた挑戦者たち
同じころ、日本でも白瀬矗(しらせ・のぶ)隊が南極探検を志しました。小さな木造船「開南丸」で出航した白瀬隊は、船の損傷や食糧不足など数々の困難に直面しました。
しかし無理をせず進路を調整し、隊員の意見や体調を考慮する柔軟な判断で、全員を無事に帰還させました。
1912年1月、白瀬隊は南極の東岸に上陸し、「大和雪原」と名づけました。
南極点には届きませんでしたが、アジア人として初めて南極大陸に立った歴史的偉業を成し遂げました。
白瀬隊の成功は、単なる到達記録ではなく、極限環境で仲間を守る判断力と柔軟な戦略を示す模範的な挑戦でした。
🌈 いのちと意志の物語として
南極探検の歴史は、単なる冒険ではなく、人間がどこまで信念を貫けるかを問う物語。アムンセンの犬たち、スコットの仲間たち、白瀬隊を支えた日本船――そのすべての命が、極地の静寂の中で“生きる”という祈りを捧げていました。

🕊️ おわりに
今、南極は科学観測の地として、人類が協力し合う平和の象徴となりました。
100年以上前、命をかけて南極を目指した人々の精神が、現代の「しらせ」と「昭和基地」に息づいています。
雨の中で見上げた「しらせ」の白とオレンジの艦体――それは、未知への挑戦を続ける人間の意志そのものに見えました。
これからも「しらせ」が、地球と私たちをつなぐ架け橋であり続けますように。
動画で見る:南極観測隊に同行した動物たちのこと
動画で見る:南極観測船しらせ
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