🎨 京セラ美術館「どこ見る?どう見る?西洋絵画!」を訪れて
- かとうようこ

- 9月16日
- 読了時間: 9分
更新日:9月18日

3連休の最終日、京都市京セラ美術館で開催中の展覧会 「どこ見る?どう見る?西洋絵画!」 を観てきました。
この展覧会は、サンディエゴ美術館のコレクションを中心に、国立西洋美術館の名品もあわせて紹介されており、「西洋絵画をどのように見ると楽しいか」という視点から、鑑賞のヒントを提案してくれる内容です。サンディエゴ美術館からは、ジョルジョーネやサンチェス・コターンなど、日本初公開の名作も登場。ルネサンスから19世紀末まで、約600年にわたる西洋美術史をたどりながら、来場者それぞれが自分だけの「どこ見る?」を探せる構成になっていました。



そして何より、会場となる 京セラ美術館 自体も魅力的です。1933年に建てられた帝冠様式を代表する美しい建築で、現存する日本の公立美術館の中で最も古い建物とのこと。この建物に足を運ぶこと自体が、私にとって大きな楽しみのひとつです。
🏛 補足コラム:帝冠様式とは?
京セラ美術館の建物は、昭和初期を代表する建築スタイル「帝冠様式」で造られています。帝冠様式とは、西洋のモダンな建築をベースにしながら、屋根に日本の伝統的な意匠を冠のように載せた独特の様式。鉄筋コンクリートの近代的な構造と、瓦屋根や入母屋(いりもや)といった和風デザインが融合しているのが特徴です。
昭和初期、日本は「国際的で近代的でありながら、日本的な威厳も示す建築」を目指しており、美術館や大学などの公共建築でこの様式が多く採用されました。京セラ美術館はその代表例で、現存する日本最古の公立美術館建築でもあります。作品を鑑賞するだけでなく、建物そのものが持つ歴史的価値を味わえるのも魅力のひとつです。

🖌 ベルナルディーノ・ルイーニ《マグダラのマリアの回心》
この作品では、豪華な衣装に身を包んだマグダラのマリアが、世俗的な過去を捨て、祈りの中で神へと心を向ける姿が描かれています。彼女の表情には、悔い改めと信仰の想いが静かに宿り、観る者に深い余韻を残します。
ルイーニの作品を見たとき、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が好きな私は、人物の顔の作りや手の表情に、レオナルドの描く人物と通じるものを強く感じました。柔らかな輪郭、微妙な光と影の表現、手の仕草に込められた心理の機微──まさにレオナルドが大切にした観察力と表現力です。
ルイーニは、若いころにミラノでレオナルドとほぼ同時代に活動しており、実際にその画業や技法に触れた可能性があります。そう思うと、作品に描かれた人物が、まるで当時の師であるレオナルドを想い描いているかのようにも見え、鑑賞がさらに特別なものになりました。
ルイーニは、レオナルドの影響を受けながらも、独自の優美さと静謐さを作品に宿しており、その「レオナルドの香り」を感じられるのが魅力です。

✨フランシスコ・デ・スルバラン《聖母子と聖ヨハネ》
ルイーニの作品でレオナルドの観察力を感じた後に、スルバランの《聖母子と聖ヨハネ》を見ると、また違った時代の表現に心が惹かれます。暗い背景に光を集め、幼子イエスに小鳥を見せるヨハネの仕草や子供たちの愛らしい表情を際立たせています。
ラファエロの聖母子像は理想的な美しさと穏やかさが特徴ですが、スルバランもまた聖母と幼子の優美さや慈愛を描き、バロックならではの光と陰、祈りの静けさを宿しています。ルネサンス期の伝統を受け継ぎつつ、時代を超えて精神性の深さを表現していることが感じられます。
こうして、ルイーニの静謐な優美さとスルバランの祈りの深さを比較すると、時代や手法の違いが見えてきて、鑑賞がより深く楽しいものになります。

🙏フランシスコ・デ・スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》
洞窟の中で手を組み、深く祈る聖フランチェスコの姿が暗い背景に浮かび上がります。光が修道服や岩肌に当たり、祈りの静けさと重みを際立たせています。フランチェスコの目は観る者に向けられ、私たちを祈りの場に引き込み、彼の慈愛や信仰の普遍性を感じさせます。
彼は自然や動物と心を通わせる力を持っていたとされ、野原の小鳥に向かって神の愛や感謝を説く逸話が残っています。小鳥たちは逃げず、静かに耳を傾けたとされるこの話は、聖フランチェスコがすべての生き物を神の創造物として尊び、信仰と自然を調和させていたことを象徴しています。洞窟での孤独な祈りと重ね合わせることで、精神性だけでなく自然への深い愛と共感も感じ取れます。
💀 頭蓋骨の象徴
作品には頭蓋骨の上に置かれた本も描かれています。頭蓋骨は「人間の死」と「人生のはかなさ」を示し、本は信仰や知恵、精神性の深さを象徴しています。
スルバランはバロック絵画特有の光と陰の巧みな演出と、フランチェスコの正面を向く視線を組み合わせることで、祈り、慈愛、自然との共生、人間の有限性と精神性を観る者に直接伝える一枚を生み出しています。


👴ジョルジョーネの《男性の肖像》とティントレット《老人の肖像》
ティントレットの 「老人の肖像」 とジョルジョーネの男性肖像は並べて展示されており、対比することでそれぞれの魅力が際立ちます。
ジョルジョーネの肖像は、控えめで謎めいた若々しさと、柔らかな光の中に浮かぶ肌や手の表情が印象的です。まるで今ここに生きているかのような存在感があります。
一方、ティントレットの老人像は、顔や手に刻まれた皺や陰影、目の奥に宿る知恵と経験の光から、人生の重みや時間の経過を強く感じさせます。人物の存在感が非常に力強く、静かに語りかけるような迫力があります。
同じ肖像画でも、人物の年齢や画家の手法によって表現される生命感が異なることに気づき、鑑賞がさらに面白くなります。

👩🎨マリー=ガブリエル・カペ《自画像》
カペの自画像は、22歳という若さで描かれた作品ですが、その完成度の高さに驚かされます。柔らかな光に浮かぶ顔立ち、青いサテンのドレスの質感、髪に結んだリボンの繊細さ──すべてが見事に描かれ、若き日の自信と美しさが画面から伝わってきます。
興味深いのは、この自画像が 自身の姿でありながら、彼女の代表作になっている という点です。若さや外見の魅力だけでなく、画家としての確かな技術と意識が、まるでそのまま作品に映し出されているかのようです。こうした作品は、見る者にカペという人物そのものと、彼女の画家としての精神性の両方を感じさせてくれます。
若い画家が自らを描き、それが後世まで残るというのはとても贅沢な体験です。18世紀末のフランスで、女性画家としてこのような作品を残せたことも、彼女の才能と情熱の証でしょう。

🌊ベルナルド・ベロット『ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望む岸壁』
新婚旅行で訪れたヴェネツィアを思い出しながら、ベロットの描いたサン・マルコ湾の風景を鑑賞しました。大鐘楼が見える岸壁の景色は、私自身も実際に見たことがある光景で、とても懐かしく感じられます。
精緻な描写のおかげで、何世紀も変わらずその姿を留めてきた街の歴史の重みを、あらためて感じました。ベロットの作品は、都市の美しさだけでなく、時代を超えた記憶や存在感を私たちに伝えてくれます。

🏖ホアキン・ソローリャ『バレンシアの海辺』
スペインの画家ソローリャは、光と色彩で日常の自然や人々の瞬間を生き生きと描き、温かさや親しみを伝えます。『バレンシアの海辺』では、ルネサンス期の宗教画とは異なる自然で温かい光景が広がり、まるで家族のスナップ写真のような親しみやすさがあります。
波や砂浜に差し込む光、人物の仕草や表情が生き生きとしていて、絵の中の時間や空気感まで感じられるようです。ソローリャの作品は、日常の一瞬の美しさを切り取り、観る者の心に温かさを届けてくれます。

🖼 まとめ — 西洋絵画の魅力を体感
今回の展覧会では、ルネサンスからバロック、18〜19世紀の風景画まで、幅広い時代の名作を通して、西洋絵画の魅力を存分に味わうことができました。画家ごとの光や影の使い方、人物や風景の描写、精神性や日常の瞬間の表現など、ひとつひとつに込められた技術や思いを感じることで、作品の見え方がぐっと深まります。
🏛 京セラ美術館での特別な体験
歴史ある美術館という空間で鑑賞することで、作品だけでなく建物や時間の重みも感じられ、体験全体がより特別なものに。
🏯 補足コラム:他の帝冠様式建築
京セラ美術館のように、西洋のモダン建築に日本の伝統的意匠を冠した「帝冠様式」の建物は、昭和初期に全国でいくつも建てられました。代表的なものには次のような建築があります。
東京国立博物館 本館(1938年・東京上野) 和風の瓦屋根を載せた、日本を代表する帝冠様式の建築。
名古屋市庁舎(1933年)・愛知県庁舎(1938年) 隣り合って建ち、堂々とした姿で街のランドマークになっています。
帝冠様式は、昭和初期の限られた時期にだけ見られるスタイルであり、近代化と伝統尊重の両立を象徴する存在です。建物を眺めることで、その時代の美意識や文化の息づかいも感じ取ることができます。
🎨 「どこを見るか」「何を感じるか」を自由に楽しむ
観る者それぞれが、自分だけの視点で作品と向き合えるこの展覧会は、西洋絵画の楽しみ方を改めて教えてくれる贅沢なひとときです。


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