アメちゃんが来て2週間が経ちました。
アメちゃんが施設から我が家に来るまでの間に、アニマルコミュニケーションで、ミード、ルーシー、ミシェル、くりちゃんに、それぞれ仔猫が来ることを説明し、アメちゃんにも、事情を説明して、うちにいる人と動物たちの紹介をして迎えたことで、初めからうちにいた子のように、すぐに環境にもミード達にも馴染みました。
ミードは初日からアメちゃんのお世話をしてくれました。
ルーシーは初め塩対応でしたが、少しづつ相手をしてくれるようになり、今では毛づくろいをしてくれるまでになりました。
ミシェルもルーシーと同じく、初めはアメちゃんが近づくと威嚇していましたが、最近は、怒らなくなりました。
くりちゃんは、アメちゃんをやさしく迎えてくれました。
わたしが猫を育てるようになったのは、20歳の頃からです。30数年の間にご縁があった猫は、初めの1匹からアメちゃんまで、一時保護の子も含めて13匹。外猫も数に入れると20匹を超えるかもしれません。
これまでたくさんの猫たちと暮らしてきましたが、その中で、キジ白の猫は3匹。
初代はショコラ。二代目はシュクレ。そして、三代目がアメちゃん。
どの子も、とても印象的な出会い方をしています。
キジ白初代ショコラのと出会い
初代のショコラは、わたしが20歳の時、ペットショップに勤めていた頃に出会いました。
その頃、ペットショップに持ち込まれたサバ白の仔猫を引き取って、初めて自分で育てるようになったある日のこと、お店に置かれていたパンフレットに、『猫は16の言葉を話し、仲間とのコミュニケーションが大切。一匹で飼うよりも、2匹で飼う方が寿命が延びる』と書いてある記事を目にしてから「バニラ(サバ白の仔猫)のためにもう一匹欲しいな~」と毎日毎日思うようになっていました。
それから、3か月ほどした頃、小学6年生になったばかりの甥がわたしのところにやってきて、
「ようこちゃんの猫と似ている仔猫をクラスメイトが拾ってきて、今教室にいるんだけど・・・」と言ってきました。子供では、仔猫の適正な世話ができていないかもしれないと思い、すぐに甥と一緒に小学校に向かいました。
教室の後ろの棚の上に置かれた段ボールの中に新聞紙が敷かれ、今のアメちゃんよりも小さな生後3週間くらいのキジ白の仔猫がいて、小さな容器にそれぞれ冷たい牛乳と煮干しが入れられていました。一目見て、このままでは死ぬと思い、すぐに抱き上げて、担任の先生に引き取ることを伝えて家に連れて帰りました。その時、仔猫に
「大丈夫、必ずわたしが守るからね。」と約束しました。
そして、そう口にしたとき、”引き受けるということは命の契約なんだ”と思いました。
しかし、家に帰ると、2匹目を飼うことを両親に大反対されました。
承知しないわたしに、いつになく怒った父がつめ寄って手を振り上げたので
「殴ってもいいよ。飼わせてもらえないなら、この子を世話してくれる人を探して、この子が生きている限り、養育費を払い続ける。」と言いました。
両親はそれ以上何も言わなくなり、仔猫は、バニラと一緒に育てることができるようになりました。仔猫には、”ショコラ”と名付けました。
ショコラは2009年の3月20歳で永眠するまで、ずっとわたしの傍らにいて、動物と心を通わせるアニマルコミュニケーションの基礎となる多くのことを教えてくれました。
次号「仔猫、来たる。~愛しきキジ白猫たち2~」に続く
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